島田裕巳『創価学会』

現世利益とセットになった信仰が、出身の村落共同体から都市に流入した層に受け入れられたというのは、非常に納得のいくハナシ。これが、戦後日本の戯画であるというのもそう。学会員の信仰には、エレガントさのかけらもない理由がよくわかる。
根を無くし、思想も信仰もないという層というのは、今でも沢山存在する。日蓮系を母体とする排他性故に、組織としての柔軟さを手に入れることのできない構造が、これ以上の拡大を阻んでいるとはいえ、神不在のカルトが、相互扶助の側面を工夫していくことで、この先も消える事なく、のさばっていくのも確かか?
幸福の実現が難しいのは、柔軟さの無い心が、多様な幸福の形を受け入れる余裕を持てないからだと気覚くには、環境や本人の資質も大切だろうか。