この日記はじまっていらいの、膝を正す瞬間

id:nakazo:20041124の、『Turtles Can Fly』の件。コメント欄での回答が困難なので、ここで。
映画のネタバレなので、今後、新鮮な気持ちで見たい人は避けてください。

イラクのセンセー 『”Turtles Can Fly”を私も観ました。すばらしい映画だと思ったのですが、私には気色が悪いとおっしゃっている意味が理解できません。映画は細部にわたって多くのメッセージが込められていて、ただ単に少女がレイプされて、生まれた子を愛することができず、最後にはその子を殺して自分も自殺するという以上のものだったと思うのですが、日本人には理解し辛い映画なのでしょうか?』 (2004/11/30 11:50)

いらっしゃい。センセー。
あの映画は、確かに、それ以上のものだったので、気持ち悪いと言っている私の意図が伝わらないのは、私が、気持ち悪かったとしか書かなかったからか、同じ映画を別の感覚で見ていたからだと思います。
どちらも、あたりまえのことですが、私が、なんで気持ち悪くなったかを、詳しく言うならば、こうです。
誰もが亀の状態とするならば、例えば、子供に地雷を掘らせて何もしない大人達が亀(随所)。地雷で両腕を失った兄が亀(随所、最後の泉での水泳)。水辺で兵士に蹂躙された妹が亀(まさに蹂躙のシーン)。この辺は、簡単にあげつらうことができるかと思います。
妹は死に向かって断崖から飛び、兄は妹の子殺し、肉親の死、両腕の無い自分が天涯孤独になってしまったこと、予見したのか、同時に見てしまったのか、それを止めることができなかったことを、水の中に飛んで後追いで確認する(妹に言う様に、三人で次の場所へは行かなかった)。あまりに残酷なエンドシークエンスと、映画のタイトルが結びついた瞬間、監督の亀達への視線の真意が理解できず、気持ち悪くなりました。
自殺だけでなく、子殺し。殺したから、自分も死ぬんでしょうか。愛せないせいで、心中ですらない。
断崖の上に残された妹の靴、くわえた後、兄はどうしたと思われますか?彼の体で、あの後、何ができると思いますか?彼等に関しては、無惨を越えて、救いが無い。死ぬよりも酷い目にあっていると思います。
ただし、これは、私の中に、そんな受容体しかなかったから、メッセージをねじ曲げ、増幅して受け取っているという可能性も重々承知。しかし、私には、作中の死、絶望の大きさが、何より圧倒的でした。
私も、あの作品から、沢山のメッセージを受け取りました。だからこそ、その視点が、実は極めて、鋭利なメスが物語の力を借りて、冷静に現実を切り出していただけだったらどうしよう。あんな酷い目にあっている連中の中に入って、その上でこんな物語を作ってしまうなんて!と、そこがすんなりと納得できなかった次第。
監督に、事実はあれより残酷で、物語る手に慈悲はあったと聞いて、私、納得しました。
ところで、日本人には理解し辛いということを心配しているあなたは、イラク人ですか?だとすれば、心配無用。監督のファンの日本人の方なら、あなたが受け取った細部のメッセージについて、他にも色々、私に教えてください。