反復して練習すれば、体が覚える。

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凄まじい?
これは修行で、Aはスタッフ総挙げでマドンナという科目の反復練習中なんだとということで納得がいく。
先日、ドラゴン桜の10巻が社長からまわってきて読んだ直後なので、日本屈指のアイドルタレントの、この程度の努力では少しも驚かないのである。
血の小便が出てもおかしくない勢いでこなすマドンナ百マス計算こそが、たったひとつの生き残りの道。今日もおしのぎ、ご苦労様です。
ちょいとハイカラな外国の文物を拝借して何かをするなんてことは、大昔から行われていたこと。長崎から持ち込まれる南蛮渡りのものが喜ばれるというので、ちょいと回転のはやい芸人やら職人が、それ風に工夫するっていうのと同じですな。
そもそも、軽風俗にオリジナリティを云々して、何かをしようとすること、そのものが愚かしいということじゃないのかと、そんな清々しさすら感じさせてくれるわけです。
で、問題は、これを仕掛ける一派が、あれほどうるさく守ろうとしていたビジネス上の権利とは、一体なんであったかということ。
逆立ちしても、ブリトニーの様に「あがって来い!ヤス!」と、マドンナに言ってもらえないA、Aのスタッフとしては、積極的に金使って、頭使って、『わだばゴッホなり』の志で自らをマドンナに見立てて仕掛け続け、学び続けることだけがゼニと名声への道。都合のよいことに、外国のことを知らない人には非常に目新しく面白いものとして、認識されて価値も生まれて金になる段取り。やはり、財とはつまり銭であり、決して芸や才能、インスピレーションではないということですな。知財なんて、都合の良い幻想なのであります。
ともあれ、次世代への継承も含めて、軽風俗というのはなかなかどうして、ポンと浮かんでするりと消えていくもの。日本の放浪芸をみつめる小沢昭一の様に、せいぜい真似て学んでどうにかしていただきたい。生温く見ておくぐらいのことしかできませんが……。
このマドンナ芸が伝統芸能に成長するまで、ぎっちりやりこんでくれることに期待。
そうそう、小沢昭一なんて、呼び捨てにはできませんよ。心の師であります。私、普段は先生と敬称を付けて呼んでおります。はい。