役立たずについて調べ中のメモ

役立たずについて考えている。
意味や理由の無い本物の役立たずと、取り返しのつかない目にあったせいで、役に立たなくなってしまったのと、大雑把にその二種類が種類があって、今は取り返しのつかない目にあった方。
無意味な本物の役立たずというのは、基本的にひっそりと役に立たないたたずまいをしているので、たとえめぐりあったとしても、俺は比較的簡単に避けることができる。役立たず自身には「避けてないやんけ」みたいな不幸なできごとがおこるかもしれないけれど、その辺は、俺も多少なりとも不幸な時間を共有するので勘弁してほしい。
それはさておき、取り返しがつかない系の連中に関して、簡単に思い出せるのは定番の詩。

まのあたり美を見し人は
既に死の手にゆだねられ、
この世の役に立ちがたし。
されど死を見ておののかん、
まのあたり美を見し人は。

プラーテンの「トリスタン」。ずっと大好きな詩なんだけれど、この佐藤晃一訳のは、ネットで検索しても出てこない。
どっちかというと、生田春月の訳、

美はしきもの見し人は、
はや死の手にぞわたされつ、
世のいそしみにかなはねば、
されど死を見てふるふべし
美はしきもの見しひとは。

と、こっちが出てくるんで、きっとこっちの訳で知っている人の方が多そうだ。
私、佐藤訳が好きなのです。なもんで、気になってしまった。
佐藤訳、

泉さながら涸れ果てん、
ひと息ごとに毒を吸ひ
花見るたびに死を嗅がん。

ここ、生田訳は、

げに泉のごとも涸れはてん、
ひと息毎に毒を吸ひ
ひと花毎に死を嗅がむ、

あ〜。原典的には別に見ちゃいないなくて、花の香りで死ぬ感じか。とはいえ、“げに”とか“ごとも”っていうのは、あまりに大げさすぎやしないか。大げさでもいいけど、ここまで力む音にする必要があるんだろうか。
で、かっちょ悪いぞ生田訳とか思うんだが、大昔に授業で「Libestodといえば、この詩ですが……」と、師が口にしたトリスタンも、佐藤訳っぽかった記憶がある(少なくとも「うるわしき……」とは言ってないし、当時のノートにも「目の当たり……」と書いている。発掘したら出てくるのが笑える)ので、この辺の訳の分布やら背景情報について、誰か詳しい人が教えてくれれば、自分で調べる手間が省けて、気になって夜も寝られないって事態からも脱出できて大助かりなんだけどなぁ。