大阪日本橋に大量オタ。これがぶぁぁぁぁあっているの。恐い!きもい!

昨年のホットドッグ屋のバイトに続き、SF作家のかんべむさし氏も、オタクにちょいと引いた様子。
http://www.nikkei.co.jp/kansai/path/35619.html

知識の獲得についても同様で、たとえば戦艦大和排水量や主砲口径を知っていたって、それ自体は「マニアのトリビア」であるが、これは応用が効く知識である。しかし宇宙戦艦ヤマトの性能を知っていても、それは「蛸壷(たこつぼ)」的な知識にとどまるのではないか。

 だけど。と、ぼくは自分の思考を、自身で批判もしている。

 「おまえのその理屈を進めると、現実生活で役に立たない知識には価値がないという、偏狭な実用主義になってしまうぞ」

 そのとおりであって、ぼくは本来、無用の知識、非実用的な教養の意味を、大いに認める者なのだ。なのに、なぜこの分野に限って、こんな思考をしてしまうのか。それにはわけがあり、先般、ショッキングな経験をしたからである。

 大阪日本橋電器店街は、現在、アニメやゲーム、フィギュアの街ともなっており、平日でも大勢のマニアが集まっている。あるときその大型専門店に入って、若い客たちの様子を見てみたのだが、顔や人相の異様さに愕然(がくぜん)とした。

 「現実との接触を必要最小限に抑え、虚構世界にのめり込みつづけると、こんな顔になるのか!」

 学生、フリーター、ニート的な「おたく」。多分それらが混在していたのだろうが、その大半が子供でもなし大人でもなし、のっぺりとした無動の表情で、眼だけは憑(つ)かれたようになっていた。

 「この種の異相で示されている気質や知識体系、働くにせよ暮らすにせよ、世間には通用しないと思うのだが、この先どうするんだ」

 他人事ながら心配になり、人の意識内における現実と虚構との兼ね合い、実用知識と非実用知識のバランスなどということに、考えが至ってしまったのである。

 無論、ぼくが模型作りを通して、造船や航空から戦前の国際情勢に至るまで、多くの知識を応用可能なそれとして得たのと同様、彼らがアニメ製作やゲームソフト開発、その種の娯楽産業全般にまで興味を広げておれば、両者は等質の行為ともなるのだけれど。ううむ。それにしてもなあ……

いや、ヤンキーとかエコライフな人たちがたむろしていも多分、違和感はある筈。宝石売りとか、エステのキャッチみたいなギラリとした業種の姉さんがたむろしていても同じだろう。特定の傾向の容貌やファッションの人たちが妙に集まっていると、それなりに何か考えてしまうものではないかと思う。道ばたじゃなくて、専門店に入っている連中を見ているわけだから、それぞれの顔つきも、ブツを漁る顔になっていた筈だ。ともかく、日本橋界隈の蛸壺連は顔や人相が異様だったらしい。
応用云々以前に、正直な人だと思うのだけれど。ううむ。それに(ry