がんばれと言わせない割に

さて、いつ頃からか「がんばれ」という言葉がデリケートな言葉になっているわけです。
「充分無理してがんばっているので、これ以上他所の人に、テキトーにがんばれとか言われたくない」という神戸の震災界隈からそういうのを認識しているわけだけれども、最近は鬱に頑張れ言うなというのも、大きくはその仲間かと思ったりして見ている。
『これ以上がんばれない人をテキトーに励ましてはいけない』というのは、これ、人の素直で温かい心にちょいと水を差す方向で、概念の変化が発生しているんじゃないかと思うのですよ。
がんばっている人を見て、思わず応援してしまうときにかける言葉はなんなんだ。やっぱり、「がんばれ!」が素直でまっすぐ届く気のする言葉じゃないのか。それが無責任とかテキトーというのは、「同情するなら金をくれ!」という名台詞通じる心意気だったり、あらゆる人に対して一律「おまえに言われたくない!」という拒否の姿勢なわけですよ。
言葉だけでも、人は勇気づけられるものだけれど、コミュニケーションなので、チャンネルは開いてないと駄目でしょ。ってな具合。チャンネルを閉ざした状態が肯定されて、やっぱりご近所さんなんて必要ない。と、それが結論なわけです。
がんばれという素直な言葉で、素直に励まされる様なコミュニケーションの土壌があればもうちょっと、なんとなくだけど救われた気がする世の中にならないのかと実は、高橋尚子を見て思った次第。
遠いかな?
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/other/28304

惨敗の高橋尚子、引退を否定「北京まで挑戦する」
19日の東京国際女子マラソンで3位に終わった高橋尚子(34、ファイテン)はレース後の記者会見で、「引退はないです。北京まで挑戦する」と話し、引退を否定した。

この人の場合、優勝意外は惨敗なんでしょうか。それとも、失速がつまり調整の失敗ってことで、プロとしては惨敗相当ということなんでしょうか。こういうのの基準を決めるのが、報道の連中なわけですが、同じく「がんばれ」は駄目。というのを薄く蔓延させたのも報道の連中なわけです。
で、どちらにせよ、惨敗の高橋よりも順位が下の選手は、ハナっから格が違うので、このレースでのがんばりとか、本人のがんばろうという自負なんて、屁みたいなもんですよ。って自動的にそんな扱いなわけなんで、こういうところから「おまえに言われたくない」の連鎖って、始まるんだろうなぁ。ってホントかなぁ(笑。