記憶の底

日常が薄いのか、日常が濃いのか。夏の日輪を待たず、はやくも晩秋以降を待っている。
常になにかを渇望しているのが自分ではなく、常に何かを正確に伝えようとして、もどかしい思いをするのが自分だと思い出す。
即答を差し控えることはできても、回り道で本音を吐いてしまい、それが何の役にも立たないことに、余計に自縛されてしまう。