校長の自殺

何かのために自らの命を軽くする生き方はあると思う。それがどんな社会でも、どんな状況でも褒められたものかどうかは別のハナシ。
自ら死を選ぶ人間を肯定することはできないが、安っぽい同情や、残された家族の無念を思う事は簡単にできる。で、誰がこの不登校児童のケアをするんだ?60歳校長に自殺を選ばせてしまうくらい、天理市の教育現場はどうかしているのか?
傍目からは、不登校になった子供のケアについて、誰もあんまり真剣じゃない様に見える。シンプルな解決が望めなくなっている以上、この子供は一生この件を心の何処かに、何かのトリガーとして持って生きることになるかと思うんだけれど、いいのかなあ。
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/20040221k0000m040078004c.html

小学校入学から三年生まで担任だったババアの墓石に、うんこねじり付けて粉々にしたい人間として、もし俺がこの天理の小学生と出会う事があって、その時彼女がまだトリガーを持っていたら、とりあえず、何かくだらない腹いせを手伝ってやろう。
……大人じゃないなあ。